これからの日本の劇場建築

 

 今更言うまでもなく、ここ1世紀余りの近代化の功罪は、十分客観的に判断しなければならない。特に日本に於いては、その変革が明治維新以来の100年に集中し、且つ、その短い歴史の中で、初めて成立した学問や観念が殆どである。建築学も計画学も、劇場という観念も、すべてはその歴史の中で社会の近代化の為に考え出された方法と観念であるといっても過言ではない。その結果を客観的に見れば、我々の社会は物的な活性化を得られた点のみは評価できるが、それ以外の精神・文化的な分野では単純化・均質化し、場合によっては破壊されて失ってしまったものも多い。今、我々はこの失われた精神文化を取り戻しつつ、せっかく獲得した物的蓄積を活かしてゆかなければならない。その方法を考え出すのが課題である。

 上記社会の近代化の中で日本の中央文化及び世界の中央文化が地方の隅々まで普及し、日本全土の物的・経済の活性化と都市的・社会資本の充実を進めてきた。しかし一方、その代償として地方文化は疲弊し、その固有な力は失われてしまった。数年前よりそのことに気付いた日本の各地では、最も地域に根ざした祭りの再興が行われ、地元の歴史の発掘と共に歴史博物館・資料館がつくられ、テレビの歴史番組の影響もあって、今は城郭の復元ブームまでに至っている。しかし、これらを実行するエネルギーは、相変わらず中央集権的体制だし、それを評価し力づける情報のシステムもすべては、近代化の普及を旨とした中央集権的社会体制の中である。そこにおける様々な矛盾が今、政治を変えようとしている。少なくともそう考えたいし、むしろこの機会に各地方文化の個性を評価し、それらが平等に共存できる社会の仕組みをつくらなければならない。これはある意味で個人の自由な創造力を保障することでもあるからである。

 さて、こんな社会の流れの中で、建築界は何をしてきたのか。劇場という箱を作ることによって各地方の文化にどんな役割を果たしてきたのかを考えるとその功罪の罪が如何に大きいかが反省される。即ち、前述したように、建築界のすべてが一つの価値観のもとによりよい建築を求めた、規準化、標準化を全国に普及しようとしてきた為に、学校建築に代表されるような、各地の文化に関係なくパターン化された建築の普及となってしまった。劇場建築も正に同様である。今更日本劇場建築の歴史を述べるつもりはないが、劇場という観念もその中で行われている多くの文化も殆どが、前述した日本の近代化の過程で西洋に学び、体得したものを全国民に平等に与えようとした間違いである。それが、閉鎖された若しくは暗箱化されたプロセニアム劇場という観念であり、日本では、現在その反省がみられるプロセニアム形式の日本型多目的ホールの普及である。

 昔の日本の芝居空間はその字が示すとおり、屋外であった。能も同様であり、それぞれの地形や風景を生かした空間づくりと演出が行われ、それぞれの祭りや儀式や生活と密着していた。江戸末期から明治の初めの近代化以前、歌舞伎や能・文楽等の伝統芸能がそれぞれの様式を確立した時代まで、たとえ屋根がかかって屋内化された時も未だ自然の光と風は採り入れていた。その分自然の変化に対応したやわらかい運営と演出があった。しかし、西洋文化の輸入と同時に舞台の独立した芸術性と照明や舞台装置による演出技術を学ぶことによって、舞台空間を自然の光や風、及び地域の生活や環境から切り離し純粋化してきた。これは芸術性を高め、より多くの人々が学習するにはよかったが、その分、地方性や人々の生活からは切り離され均質化してしまった。

 プロセニアムの歴史は古いが、今のような奥行きのある舞台とその開口に向かって全ての観客が平等に並ぶ、扇型のプランの劇場形式は、近代化の中で演劇(オペラ・舞踏も含む)用として様式化したものである。即ち、舞台はそれ自体で自立した芸術と考え、それを第4の壁、即ち額縁から観客は覗き観る。そして、その観客はみんな平等に整然と舞台の方向を向いて座らされる。そこには、昔のオペラ劇場の様なバルコニーもないし、日本の芝居小屋のような桟敷席もない。あくまで独立した舞台芸術と、観客各個人が対置し、鑑賞する。そこには観客同士の視線の交差もなければ、演劇空間への参加もない。舞台というより、観客席に向かって配置されたバルコニーや桟敷席は観客同士のコミュニケーションによって舞台から得た感動を直に確かめ合い、自分達を取り巻く環境との照合を行い、その感動をより大きなものとする意味を持っていた。同時に空間構造の複雑さは舞台に対する席による多様な視線とそれぞれの観客の好みによっての楽しみ方を提供していた。これら、バルコニーと桟敷席を無くしてしまったプロセニアム型近代劇場の空間はパフォーミングアーツとしての芸術の確立を進めることは出来たが、その分、地域性を持った観客とは断絶しそれぞれの個性のある視点を均質な価値観を押し付けることによって無くさせ、結局は全国、世界共通の芸術鑑賞の場として硬くパターン化された。この結果各地の固有な文化は窒息し、均質なインターナショナルな文化が世界そして日本全土を覆いつくした。この硬いプロセニアム型近代劇場の普及を理論づけた劇場計画学や、建設の原動力となった建築界の罪は大きい。

 建築という箱はその内なる文化様式を規定する。特に劇場建築はその関係が密接である。中の文化・芸術のあり方を十分イメージしないまま、西洋から学んだ近代化の箱を押し付けてきた責任を果たす上でも、今度はそれぞれ固有な内の文化をイメージし刺激を与えうる「創造力豊かなやわらかい箱」を提案しなければならない。

 今、各地で個性ある文化の再興が叫ばれる中、我々建築家、特に劇場建築に携わっているものは従来の計画学的劇場の観念をすてて、創造力をもってそれぞれその土地独自の文化・文脈から何らかの個性を引き出し、その土地固有のやわらかい劇場空間を提供することが求められている。

 

 計画学の基本概念となっている「演劇」や「音楽」そのもののあり方も大きく変わっている。今ここで、演劇論や音楽論を述べるつもりはないが、それぞれの表現様式そのものが幅広く、多様化している事は明らかである。その結果、演劇劇場の基礎となっている、脚本・セリフと舞台表現を中心としたプロセニアム劇場は、現在の演劇界でもごく一部となってしまった。中でも、緞帳を使う芝居は、ごく少なくなっている。むしろ、前面に舞台を張り出したり、出演者が観客席の後ろから出て来たり、猿之助の様に、歌舞伎でさえ客席の天井までを演技空間とするなど、実に様々である。

 音楽の世界も様々な表現を行うようになった。単に楽器と声帯の生音だけを聴覚的に楽しむ従来の音楽は、クラシック音楽のごく一部となってしまった。ジャズ・ロック・ニューミュージックは勿論のこと、クラシックを楽しむ多くのコンサートでさえ、電気電子機器を使ったり、照明や舞台装置など、視覚的演出を含めた総合的な演出が普通となってきている。

 私はここ数年、クラシックの殿堂、ウィーンのムジーク・フラインでのニューイヤー・コンサートを聞きに行っているが、あの良さは、決して演出技術や音響の良さではない。ヨーロッパ、特にウィーンの暗く、重い冬の環境の中で、白と金色に輝くあのインテリアを生花で一杯に飾り、世界中から着飾り集まってくる人々と、毎年指揮者を替えて、少しふざけた感じのウィーンフィルのウインナー・ワルツ。こんな全体があのコンサートを世界一の楽しく素晴らしいものとしているのである。

 前にも述べたように劇場とは、このように視覚・聴覚は勿論のこと、空間や環境全体で楽しむものである。だからと言って商業施設のように一般大衆に迎合したり、大阪いずみホールの様に箱のデザインだけでムジーク・フラインを真似てみてもはじまらない。これは本物のアートを創造し、楽しむ場と言うより消費する場と言えよう。

 かつて私が芦屋にルナホールを提案したときと、建築家長谷川逸子が、コンペで球状の湘南台文化センターを提案したときは、ともに劇場建築の専門家や演劇人は様々な抵抗を示した。従来の演劇劇場や多目的ホールの観念にない、新しいホール空間であったからである。従って、他のホールで創られた出し物を、そのままこちらに買って来ることは難しく、ここで創られたものをそのまま他のパターン化したホールに持って行くことも難しい。従って、一般ホールの様な外で創られた出し物を次々と買ってきて広く市民に見せる、といった通常の運営形態が出来ない。そんなハンディー、いや、むしろ特長を積極的に買って、湘南台の芸術監督を引受けたのが太田省吾氏であった。そしてそこで、そのユニークな活動が行われている。結局この他にはないこの劇場の特長が、太田省吾を中心に多くの演劇人の創造力を刺激し、素晴らしい作品がいくつもここから世界に発信しているといえる。地元の人々は勿論のこと、他で活躍する演劇人達もここで行う時は、この空間を生かした演出を考える。私は、今後の劇場はこの様に、使う側、創る側の創造力を刺激し、ユニークな音楽や演劇作品を生み出すものでなければならないと思っている。

 最後にもう一つ、今日本の各地に、第2国立劇場で行われるであろう外国オペラの地方公演をイメージして、3面・4面舞台を備えた大規模ホールの建設が盛んである。外国のオペラハウスから学びながら日本の最新技術でつくるので、ハードな設備としては外国のそれらを越えたものとなっている。舞台関係専門技術も近年は日本を代表する企業が扱うようになって、現在の必要以上の建設ブームは、それら大企業の陰謀ではないかと思うほどである。その分、ハードな技術は目覚しい技術発達をとげた。しかし日本の行政が箱行政だと言われるように、そんな立派な劇場を大量に作っても、それを使いこなすソフトの予算も人もいないのが、現状である。第2国立劇場が出来て、そこにやってくる外国のオペラの受け皿なら、数はそんなにいらないだろうし、年数回、それが行われる以外の日常の使い方への提案が同時に行われなければならない。もし、今後日本のオペラを育てるというならば、西洋文化の物まねには限度があること明白であって、日本文化としてのオペラのあり方を考えた、具体的提案が必要である。これは、第2国立劇場建設の時にしっかりとした議論がされぬまま進んで来た悪影響だといえようが、経済的・文化的に社会をリードする建築界として、目を閉じて箱だけつくる訳にはゆくまい。特に、劇場建築の場合は、箱の在り様が、中の芸術の在り様を決定するからである。無思想な劇場生産は、無計画な建築生産が都市の混乱を招いたのと同様、音楽や演劇など、ホール芸術を混乱させ、疲弊させてしまう。従来の無思想なプロセニアム型多目的ホールが侵した罪を、重ねて行うことだけはやめたい。

 私個人は日本の文化的特長である多くの芸術様式の共存を生かして、それらをクロス・オーバーした、新しい総合芸術を生み出すべきだし、日本の四季変化する自然と、各地の伝統芸術を生かした新しい芸術の楽しみ方を創造すべきだと考えている。劇場建築がこんな未来の芸術の創造と、前に述べた地方文化の日常的な活動の場とする為には重ねて創造力を刺激する建築家側から提案があることと、様々な表現の自由を保証するフレキシビリティー──私はこれをソフト・ハードを含めて「やわらかい劇場」と呼んでいる──が必要である。私案としては、各地の自然と風景を大きな開口や、ガラス面で取り入れた「やわらかい劇場」・アダプタブルシアターを提案している。

 劇場建築のソフト・ハード両面でのこの「やわらかさ」は、それ自体、日本文化の特長であると同時に、日本文化の固有性を保障するものとして、今我々に与えられた最優先課題ではないかと考えている。

 (学会建築雑誌「公共ホールと建築家」1994.03掲載)
山崎泰孝